鍼灸師から整体師へ遷
20代半ば頃、鍼灸師になろうとしたことがあった。
もともとその時は何か自営業を営もうと思っていた。
大学卒業して就職した会社を辞めた後、様々な職業を経験したが、その中で、やはり商売というのは開業資金やランニングコストがかなりかかることがわかった。
商売というのは経費というものがかなりのウェイトを占めていたのがわかったということ。
そんな時、あらゆる世の中の商売の中でも、治療院というのはやり方次第で経費がほとんどかからない世界ということをわかったのだ。
治療院もテナントを借りて営業すれば、それなりに経費がかかるのだが、ひっそりとマンションの一室などで営業することもできる。
実質、私の親は鍼灸師であったし、自宅兼治療院として営業していた。
その光景を目の当たりにしていたので、治療という世界感も身近に感じていた。
しかし鍼灸師を志すことの中で、いくつかの問題があった。
一つは、3年間専門学校に通い、鍼灸師の国家資格を取らなければならなかったこと。
まぁ3年間という期間は、20代だったので問題はなかった。
二つ目の問題としては、やはり学費だった。
鍼灸師の専門学校というのは、すべて私立になるため、3年間で3000000円ほどの学費がかかる。
こんな費用を持ち合わせていなかった。
そこで、国民生活金融公庫に相談しに行ったところ、国家資格を取る目的などのでということで、簡単に融資が降りる形となった。
だが私は立ちどまって考えた。
なぜならその時すでに、大学生と高校生のときに借りていた奨学金の返済があったためだ。
その額3000000円ほど。
それを返すだけでも見通しが立っていないのに、さらに国民生活金融公庫から3000000円の借金をしてしまうというのが、ものすごく重く感じたのだ。
しかも鍼灸師という世界は医者とは違い、国家資格を取ったということだけでご飯を食べていける世界ではない。
基本的には、学校を卒業しただけだと自分独自のスキルを持っていないため、どこか敏腕治療院で修行を積まなければならなかった。
ということは専門学校在学中の3年間以上に技術習得のための期間がかかってしまうということ。
その間収入は全く安定していない。
その中で6000000円の借金を抱えている状況というのを想像したら、鍼灸師になることに対してあまり前向きに考えることができなくなった。
手に職を持つということは、とても私の理想としていた。
しかも、ヒーリングやホリスティックな世界観に惚れ込んでもいたので、鍼灸師こそ私のための職業だと思っていた。
悩んでても仕方ないのでとりあえず東京にある、鍼灸師の専門学校を見て回った。
鍼灸師の学校は、全国どこにでもあるというわけではなかった。
だいたい主要都市にあるという感じであった。
なので、鍼灸師の学校に行くとなれば、生活費も当然高くつく。
実際に東京の専門学校を見て回ったところ、学費の高いところで5000000円というところも普通にあった。
これプラス3年間の生活費というのは5000000円近くかかるだろう。
要するに東京の鍼灸師の専門学校に行くには、3年間で10000000円近くかかるということ。
この数字が頭に浮かんだ時、鍼灸師になることの現実味がなくなった。
そもそも大学を卒業しながらも、さらに専門学校に通うという選択にも疑問を抱いていた。
そのような感じで、結局鍼灸師になることを諦めた。
しかし、ヒーリングやホリスティックの世界を諦めたわけではなかった。
何もヒーリングの世界やホリスティックの世界というのは鍼灸師だけが使う世界ではなかったのだ。
私はその後リフレクソロジーを学ぶことにした。
リフレクソロジーというのは、簡単に言えば、足裏マッサージのこと。
足の裏には体全体に通じる反射区というものが存在する。
その反射区を刺激することによって、体の不調の部分にアプローチするというもの。
これが本来の足裏マッサージの理論である。
しかし、多くの足裏マッサージは、筋肉や疲れをほぐすために行っているのが現状多い。
本格的なリフレクソロジーを学びたかったので、東京にあるリフレクソロジーの学校の通信教育を受けることにした。
リフレクソロジーというのは国家資格ではないため、このような形の学習が可能であったのだ。
学科に関しては自宅で勉強し、実技に関しては、定期的に行われる集合研修に参加するという形。
このリフレクソロジーの学校を選んだ目的というのが、実技を教える先生が日本でトップのリフレクソロジストであったためだ。
リフレクソロジーの本場は、イギリスといわれる。
そのイギリスには、リフレクソロジーの国際資格機関があり、実技の先生はそのライセンスも持っていた。
やはり技術関連を学ぶときは、その世界のトップクラスの人間から習わないと意味がないと考えていた。
しかもその先生は自分でも1人でサロンを経営していた実践家であったため、とても信頼があった。
リフレクソロジーの学校に関しては、300000円の学費がかかった。
まあ鍼灸師の専門学校に比べれば、わずかなお金だった。
またリフレクソロジーはアロマセラピーとかなり関係が深い。
なのでリフレクソロジストはアロマセラピストであることが多い。
基本的には、施術の際は両方ともキャリアオイルとアロマオイルを調合したものを用いる。
違いは全身をマッサージするか、足だけをマッサージするかの違い。
そこで私は一通りリフレクソロジーの学習を終えた後、アロマとハーブの店に販売員として就職した。
そこで、アロマやオイルに関しての知識、そして、アロマに興味を持つお客さんたちがどういう人なのかの研究を行ったのだ。
当時、アロマの世界で男というのはかなり珍しい存在であった。
もちろんお客さんたちもほとんどが女性。
働き始めてからはほとんどアロマ製品の知識がなかったため、かなりあたふたしてしまった。
しかし、日を追うごとにアロマ及びハーブの知識は高まっていった。
そして、ある程度知識が高まったところでこの販売の仕事を辞めた。
次に向かったのは海外である。
海外のリラクゼーションの現場を肌で感じるためであった。
この時は放浪という形でアジアを見て回った。
主に見て回った国はタイとインド。
この二つの国というのは、タイ式マッサージやアーユルベーダといったホリスティックな医学が発達した国であった。
様々なスクールに体験入学したり、また、直接サロンでセラピーを受けたりしていろいろと学んだ。
帰国してからはマッサージ系の整体師として修業を始め、やがてほぐしやで働き出した。
ほぐしマッサージというのは治療という概念からは外れていたが、癒しというカテゴリには入っていた。
実際にお客さんに対して手技を施すということがかなり勉強できた。
初めはかなり緊張したが、これもやはり慣れである。
整体師の仕事を辞めた後、私はさらなるブラッシュアップのため、日本中の強者整体師の元に学びに行った。
そこで私は整体の世界の深さに驚愕した。
本物の整体というのはマッサージという世界感とは全く異なっていたのだ。
つまりもんだり押したりすることが整体ではなかったということだ。
様々な整体師のもとを訪れたが、一番しっくりしたのが、石川県で山ごもりをしながら生活している整体師の先生であった。
私はこの先生と意気投合した。
そして、何日間にわたって先生の自宅で生活させてもらい、整体師としての修行を行った。
先生はほとんど仙人のような生活をしていた。
食事に関しても、この時代に反して囲炉裏を使ってご飯を炊くという感じであった。
この原始的な生活に私もはまってしまった。
この先生とは主に頭蓋仙骨治療及び体制感情解放のセッションを行った。
これは整体の世界でも一番難しい手技である。
この先生からは多くのことを学ばせてもらった。
その後、自分でサロンを開こうかと思ったが、学生時代の奨学金のローンが残っていたため、まずはそれを返済するために一度サラリーマンをすることになった。
そのサラリーマンの間に、休みを取ったりしながら、オイルマッサージの学校にも通った。
そして海外にもたまに旅に出て、いろんな国でマッサージを受けてきた。
結局のところ、今はサロンを持っていない。
サラリーマンを辞めた後、インターネットを使った仕事で独立をしたためだ。
今のところ、これがメインの仕事であるが、マッサージやヒーリングの世界を諦めたわけではない。
一時的に行っていないという形なだけである。
またのちのち、サロンを開くことになるかもしれない。