英語嫌いな私の変化
私がはじめに英語に触れたのは、確か中学生の時だったと思う。
小学生の時までは学校の授業で英語というものはなかったが、中学校の時から英語という科目が加わった。
それまでは英語という概念が全くわからなかった。
それほど日本では、日常生活で英語というものは必要ないということだ。
中学生で英語を習い始めたものの、言語という感じではなく、暗号解読みたいな無味乾燥なものであった。
いわば数学の方程式を暗記するような感じと変わらなかった。
日本の英語教育というものはそういうものだ。
日本の学校教育では、今学んでいるものが何のために役に立つのかなどは教えない。
ただ暗記暗記ばかりだ。
なので英語に関しても、何のために勉強しているかわからなかったため、ただ暗記ものとして昇華していた。
これは何ともったいなかったんだろうと今になって思う。
中学生のときにコミニケーションのための英語を学んでいれば、今とは違ったかなりの英会話力がついていたと思う。
中学生の時というのは頭がまだやわらかいので言語の習得という意味ではいい時期なのだ。
そもそも英語の勉強という言葉が私はあまり好きではない。
英語といってしまうと、どうも学問臭くなるのだ。
それは論文を書くための英語だったり、試験のための英語というニュアンスが伝わる。
英語ではなく、英会話を学ばなくてはならない。
英語を勉強しても世の中のほとんどの人には実用的ではない。
しかし英会話の勉強となれば、旅行に行った際などに役に立つ。
また、仕事に関しても、英語よりも英会話の方が重要となる。
今話したのは私が中学校の時なので約20年前の話。
現在は中学校の教育プログラムがどういうふうになっているのかわからない。
しかし噂などを聞くと、そこまで変わっていないように思う。
教育機関というのはなんでこんなにも動きが鈍いのだろう。
日本人の英語力がないということで、小学校から英語の授業を取り入れてはどうかという記事を見たことがある。
これは質を無視して量を増やすみたいな考えだ。
幾ら量を増やしても質がだめなら変わらない。
英語の授業は別に中学生からでいいと思う。
その授業の質を変えなければならないという視点がないのだろうか。
まさに英語の授業ではなく英会話の授業を行うということ。
授業方法の改善をしてだめなら、別に小学校から始めたりしてもいい。
要するに改善する順番がおかしいということ。
高校に入ると英語の授業以外に英会話の授業というのがあった。
英会話の授業の先生は日系アメリカ人であった。
このような感じの授業を中学生から始めなくてはならない。
生きた英語コミュニケーション英語を学ぶのだ。
すべて授業が英語で行われていた。
こういう環境は素晴らしいと思うが、真剣に英会話を学ぼうという生徒がいなかったのは残念。
私もその1人であるが。
高校生というのは、皆カッコつけたがる
カッコつけたがるということは要するに間違いを犯すことを恐れているということ。
語学を学ぶのには沢山間違える必要がある。
なので積極的に先生と会話を学ぶという姿勢がなかった。
みんなに笑われるのが怖いのである。
思春期の時というのは、自分の気持ちよりも周りの視線などを気にしがちなのでこういうふうになってしまう。
何とももったいないこと。
私自身も積極的にコミュニケーションは取っていなかったため、全く英会話は進歩しなかった。
今であればガンガン先生と話すのに。。。
非常に無為な時間を過ごしていたものだ。
そもそも私は英語自体が不得意であった。
目的もなく暗記するというのが苦手であったのだ。
なので英語に関しては赤点ぎりぎり。
大学では一般教養として英語の科目があった。
これは普通に学問としての英語の授業。
それとは別にアメリカ人が教える英会話の授業っていうのもあった。
授業ではすべて英語で行われ、また、指名されたとき英会話しなければならなかったが、全く思ったことを伝えれない自分に気づいた。
かなりもどかしい思いであった。
口から出るのは単語ばかり。
どうしてもセンテンスでしゃべれなかった。
典型的な英会話のできない日本人状態であった。
そんな気持ちが嫌でますます英語というものに背を向け始めた。
しかし、転機が訪れた。
大学3年の時に事故に遭い、むち打ちを患ったため、しばし病院通いをしていた。
一通り病院通いが終わった後、通院保険が私に支払われたのだ。
何十万という結構まとまったお金であった。
そのお金を何か有意義なものに使いたいと思った。
いろいろと考えた結果、海外に行ったことなかったので、初めての海外旅行に行くことになった。
もちろん英語は全くしゃべれない状態で。
初めての海外、どこに行こうか迷った。
とりあえず世界の経済の中心地ニューヨークへ行こうと決心した。
その理由は他にもある。
その時ヒップホップやレゲエの音楽にはまっていたため、ニューヨークのブルックリンを訪れたいと思っていたのだ。
もう一度言うが、英語が全くしゃべれない状態で。
英語が全くしゃべれなくても何とかなるだろうと変に楽観的な気持ちであった。
しかし出発日が近づくにつれ、何か不安に駆られ始めた。
その時になって、もっと今までちゃんと英語を勉強していればよかったと思った。
中学生の時から海外に目が向いていたならば、目的意識がはっきりしているため、きちんと英語や英会話の勉強をやっていたことだろう。
やはり目的意識というのは大事である。
何かその時に日本の学校教育というものを少し恨んだ。
ニューヨークの空港に降り立ち、マンハッタン行きのバスに乗ろうとインフォメーションカウンターの黒人女性に場所を尋ねた。
旅のフレーズ集を丸暗記し、初めて実践的に見ず知らずのアメリカ人に声をかけたのだ。
そしてなんとそれが通じた。
このときの喜びは大きかった。
しかしそのものを彼女の英語は全く聞き取れなかった。
これにはかなり動揺しへこんでしまった。
高校や大学の時に英会話の授業で聞いた英語と全く違っていた。
もはやほんとに英語しゃべってるのがあるという感じであった。
意味がわからなかったが、サンキューとお礼を言ってその場を逃げた。
なんかものすごく悔しかったと同時に、このとき英語に対する自分の中の意識が変わった。
しかし帰国してからは、特に英語の勉強などはしなかった。
その後社会人生活に入ったのだが、全く英語は使わない。
だが、また意識を変える事態が起こった。
それは、仲良くなった友人が英語をしゃべれたことにあった。
そしてその友人の友人も英語しゃべれたりしたため、何かの世界観が変わったのだ。
自分の英語をしゃべれなければならないと思い始めた。
それからはちょくちょく独学をしていた。
すると不思議と海外に行きたいと思うようになり始めた。
20代後半の時に突然アジアの放浪に出かけた。
ニューヨークに行った時よりは英語はマシにはなっていたが、しかしあまり進化はしていなかった。
放浪中に日本人と絡むことも多かったので、あまり英語の実力も伸びなかった。
これは今になって非常に勿体なかったことだと思う。
その後もサラリーマン生活中にたまに海外旅行に出かけていた。
放浪した時の反省を経たおかげで、このときの海外旅行では日本人と全く触れ合うことなく語学を伸ばすことを意識していた。
海外旅行中、一切日本語を使わないというトレーニングはかなり効果的であった。
だいたい10日間ぐらいの旅行に出かけていたのだが、出発する前と帰国したときとではかなり英語の力は変わっていた。
10日間も日本語を使わないと、帰国後、日本語がうまく口から出なくなってしまうのだ。
これはかなり不思議な感じであった。
このときに思ったのが、英語脳と日本語脳というのは別のものであると。
その後もたびたび海外に出かけては、語学を伸ばすトレーニングを行っている。
語学はなかなか奥が深い。
おかげで全く英語がしゃべれなかった状態から、今では英語で電話ができるぐらいにまで成長した。
かといって全く問題なくて英語をしゃべれるわけではない。
英会話のコツを掴んだのだ。
要するに相手の言ってることが理解できない時にはどう対処すればいいか、私が言ってることが相手に伝わらない時にはどうすればいいか。
こういったところを抑えたことで、英会話の能力が格段に上がった。