大学卒業後、大企業に就職
大学を卒業後、私は新卒社員として大手の企業に就職しました。
本当は就職したくありませんでした。
大学生活ですっかり怠けてしまって働く気になれなかったのです。
そんな気持ちで、就職しました。
その企業決めた理由というのは、ただ大企業だったからっていう理由です。
その企業は第5希望でした。
本当は放送局に就職したかったです。
何社か放送局の技術職を受けました。
そのうち最終面接までこぎつけた放送局があったんですが、落選してしまいました。
仕方なく例の大企業に就職したっていうわけです。
入社するとすぐに初任者研修がありました。
全国の社員が1ヶ所の施設に集まって、教育を受けるのです。
この就職した企業っていうのが、警備会社だったので、かなり厳しい教育を受けました。
大学を卒業したての体にはかなり堪えました。
約1週間缶詰状態で厳しいトレーニングを受けました。
おかげで教育が終わった頃にはすっかり洗脳されていました。
どのように洗脳されたかっていうと、任務に対しては自分の考えを入れず、会社の意のままに動くことです。
これは警察学校なのでも同じなんじゃないですかね。
教育期間中は徹底的に、上から押さえ付けられます。
教育機関が終わると、みんなそれぞれの場所に配置され、任務に取り掛かりました。
私はその企業に幹部候補として入社したので、すべての業務を経験する必要がありました。
本来は技術職として入社したんですが、営業職や総務そして機動隊そして現金輸送などの職を1年交代で回らなければいけませんでした。
まず最初に配置されたのが機動隊です。
機動隊っていうのは会社の中でも、一番体育会系な部署です。
逆を言えば一番頭を使わなくていい部署でもあります。
機動隊の部署には、柔道で生きてきた人間や剣道で生きてきた人間ばかりの強者がいました。
中にはレスリングやキックボクシングの選手もいました。
そんな環境で私は社会の一歩を踏み出しました。
大学生活で怠けていた私にとって、その環境はかなり厳しいものでした。
勤務時間もバラバラで、そして業務においては、泥棒退治するという義務もありました。
精神的にも肉体的にもかなり疲れました。
結局私は2ヶ月で退職しました。
技術職をやっていたならばもしかしたら続いていたかもしれません。
しかし本当のところどうなっていたかわかりません。
でも今言えることは私は企業人ではないこと確かなのです。
なぜいずれにせよ、会社はやめていたことでしょう。
会社を辞めてからというもの、私はサラリーマンの道は諦めました。
自分の力で食べていくと決心したのです。
しかしその後、30歳になって再びサラリーマンの職に就くことになりました。
予期せぬサラリーマン生活です。
ここでは大企業の契約社員という形で入社しました。
契約社員といっても、やることは正社員と変わりません。
企業側は、人件費削減のため、正社員を増やしたくなかったのです。
仕事の内容は正社員と変わらないのに、待遇面に関しては、正社員の方がはるかに良いという現実を体感しました。
しかも面白いことが、正社員よりも契約社員の方が仕事ができるっていうところです。
これには、笑うしかありませんでした。
なぜ30歳で大企業に入社できたかっていうと、それなりの理由がありました。
会社にクレーム対応の部署があったのですが、その部署になりたがるものがいなかったというわけです。
そこで会社側は、外部に人員の募集をかけたということです。
大企業のクレーム対応っていうのはかなりストレスを抱えます。
実際正社員の人でそのクレーム対応部署についてた人は、精神やストレスを病む人が多かったです。
私の上司は胃潰瘍で胃袋をすべて摘出していました。
大企業の正社員というのは社会であまりもまれてきてないので、ちょっとのストレスで体を病んでしまうのです。
私と同時に3人入社してきたのですが、1人は体を崩して辞めてしまいました。
私は含む残り2人は社会で揉まれてきていたせいか、体を崩すには至りませんでした。
しかしながら、大企業のクレーム対応っていうのは本当に疲れます。
なぜならば、お客さんの調子の乗り方が半端ないからです。
かなりの無理難題を押し付けてきます。
またそれならまだいいんですが、日頃のストレスのはけ口を我々に求めて電話してくる人もいました。
精神的に異常きたした人も多かったので、かなり厄介でした。
業務としては初めに電話で応対して、次に実際に会ってクレーム対応する流れです。
私としては電話よりも実際に会ってクレーム対応する方が得意でした。
電話だと口先だけのやりとりになるので、私にとっては難しいものがありました。
しかし実際に会うと、相手の表情が見えたり、またこちらとしても目に見える形で態度を示せるので、クレーム対応やりやすいっていうのがありました。
20代のうちは、接客業ばかり行っていたので、このクレーム対応はそこまで苦ではありませんでした。
しかし私は徐々にストレスがたまっていました。
それは何に対するストレスかっていうと、組織に所属しているというストレスです。
元来一匹狼の私は、組織で行動することにものすごくストレスを感じます。
会社には大企業特有のがんじがらめなルールが存在しました。
そこに自由なんてものはありません。
そういう環境でこれからずっと働き続けると思う気にはなりませんでした。
サラリーマンとして働いてる間、ずっと独立することだけを考えていました。
そういうジレンマが私のストレスの原因となったのです。
そのストレスを和らげる私の活動は、海外1人旅でした。
福利厚生はきちんとしてる会社だったので、有給休暇が取りやすかったのです。
連休があるたびに有給休暇を消化して、海外へ1人旅に出かけていました。
海外1人旅は、私にとって、砂漠の中のオアシスのような存在でした。
海外1人旅ができたおかげで、私はサラリーマン生活を5年も続けることができたと思います。
海外1人旅ができないような状態なら、あまり長くは続かなかったと思います。
それだけ私にとって、海外1人旅に惚れていました。
主に行く地域は東南アジアがメインでした。
やはりサラリーマンをしていると最大2週間ぐらいしか休みが取れないので、ヨーロッパやアメリカの方に行くのは結構厳しかったからです。
その点東南アジアの場合は、近いところで片道2時間ほどで行けるので、都合がよかったのです。
おかげで今では東南アジアは私の庭みたいな感じなりました。
東南アジアは第2の故郷といったところでしょうか。
それほど東南アジアに対して愛着を感じます。
これからも東南アジアを視野に入れた生活をしていくつもりです。