自由に海外旅行できる生活を手に入れるため、30代で脱サラ。旅バカそして一匹狼として社会を生き抜く、不常識な人生放浪記。

音楽の嗜好の変化

思えば、小さいころから様々な音楽に携わってきた。

小さい頃はやはりアニメの主題歌が好きでした。

覚えているのはめぞん一刻、キン肉マン、オレンジロード、北斗の拳、聖闘士星矢、ドラえもんなど。

数え上げたらきりがありません。

小学校の高学年になると、世の中に CD というものが出てきました。

今年が初めて買った CD は、ウインクの CD でした。

当時ウインクは、絶大な人気を誇っていました。

なぜなら、テレビ番組で山田邦子がウインクのまねをしてたからです。

当時のテレビの影響は凄まじいものでした。

何しろインターネットがないので、情報はテレビからしか入ってこなかったのです。

今では考えられない時代です。

テレビの話題が世間の話題っていうことでした。

CD は何で聴いていたかというと、ミニコンポで聴いていました。

なぜミニコンポを小学生なのに持っていたかというと、4歳上の兄が持っていたからです。

当時ミニコンポは高価であり、約150000円ほどしました。

兄は高校で良い成績を収めたので、両親からミニコンポを買ってもらったというわけです。

私にとっては棚からぼた餅でした。

普通は小学校6年生では、ミニコンポなんて買ってもらえるわけではありません。

普段は兄がいることで洋服などはお下がりものが多かったです。

しかし、ミニコンポのようにメリットもあります。

結局そのミニコンポは15年間ほど活躍しました。

ビクターの音にすぐれたミニコンポでした。

中学校になってからは確か。 B'z が流行ったと思います。

当然私も聴いていました。

中学校の時も音楽に対するテレビの影響は強かったです。

また、学校で口コミされていた音楽を聴いていました。

そういうこともあって、友人たちは皆同じ音楽を聴いていました。

そして当時が今と違うのは、レンタル CD が大流行していたところです。

インターネットがなかったので、音楽を聴くためには CD屋で CD を買うか、レンタルビデオ屋でレンタル CD を借りるしか選択肢はなかったのです。

当時が一番レンタルビデオ屋が儲かっていた時代だと思います。

私もしょっちゅうレンタルビデオ屋に行ってました。

そして CD ランキングをチェックしていました。

おかげで当時の J ポップのランキングは頭に入っていました。

高校生になると、洋楽を聴き始めました。

イギリスのグループである take THAT の曲はよく聴いていました。

また、ビートルズの曲も聴いていました。

あとはワムの曲も聴いていました。

学校での英語の授業が嫌いで成績は悪かったですが、音楽を聴くのは好きでした。

歌詞の内容はさっぱりわかりませんでしたが、音楽のテストが日本の J ポップとは違っていたので、好んで聴いていました。

高校時代にトップガンという映画にはまったので、ケニーロギンスの曲にはハマりました。

高校時代に戦闘機乗りのパイロットの試験を受けたのですが、視力が悪くて落ちてしまいました。

その時はかなりがっかりしました。

それと、高校時代にはカラオケボックスが大流行しました。

なので、 J ポップやビジュアル系バンドの曲をカラオケの練習のために聴いていました。

カラオケボックスに関しては、中学生の時から流行っていました。

当時のカラオケボックスは不良のたまり場でもありました。

不良たちはカラオケボックスで自分たちを主張していました。

たばこを吸ったりお酒を飲んだり。

そしてビジュアル系バンド歌うっていうのが痛でした。

私も不良ではなかったのですが、不良の友達がいたので、よくカラオケボックスに誘われてました。

女の子たちもよく来てたので、いかに女の子の前でカッコつけるか競い合ってたような感じです。

まさに背伸び合戦です。

思春期というものは本当に理解しがたい時期です。

不良達は皆それぞれなのホームのカラオケ box を持っていました。

なので例えばそこに見知らぬ不良がいると、たちまち喧嘩になっていました。

今思えばそれは、動物の縄張り争いみたいな感じに思えます。

本能むき出しですね。笑

思春期っていうのは本能と理性の格闘の時期だとも思います。

大学生になってからは世間の音楽の嗜好とは離れました。

まずはヒップホップと R & B が好きになりました。

ミックステープやレコードを必死に買い集めていました。

きっかけは大学の先輩がストリートダンスをしていたことです。

そこで HIPHOP とR & B に出会いました。

ファッションに関しても、ビーボーイと呼ばれるようなファッションをしていました。

髪の毛もアフロにしていたことがあります。

そして、車にウーハーを積み、重低音を轟かせていました。

車といっても普通の車ではなく、軽トラに乗っていました。

周囲からは変人と見えていたことでしょう。

大学時代はこのように自分っていうものを表現していました。

その時はクラブに通ったりレコード屋に行ったりが私の行動パターンでした。

おかげで学校の勉強というものはかなりおろそかになっていましたが。

そしてヒップホップの次はレゲエにはまりました。

これもやはり先輩の影響です。

ある1人の先輩が学校を退学してジャマイカに行ったのです。

その先輩はもともと音楽にはまっていたのですが、音楽で食べて事に決心したのです。

ジャマイカにレゲエの修行に行ったのです。

そのことには私も衝撃を受けました。

レゲエってそんなにいいものなのかと。

それからレゲエを聴き始めました。

レゲエにもいろいろな種類がありますが、私が一番好きなのはラバーズロックです。

ラヴァーズロックは、名曲のカバーが多いです。

名曲のオリジナルよりもレゲエのカバーバージョンの方が好きなケースも多々ありました。

ラヴァーズロックのあの切なさがたまりません。

この大学時代のブラックミュージックの影響もあって、ニューヨークに初めて海外に1人旅に出かけました。

ニューヨークでは、レコード屋をめぐったり、ブルックリンの散策などを行いました。

本場のビーボーイにはかなりビビリましたが。

その後、大学卒業するまではそういったブラックミュージックを聴きました。

大学を卒業してからは、クラシックミュージックやラウンジミュージックやアンビエントを聞き始めました。

主に BGM ですね。

音楽の音自体にはまったというわけです。

その影響もあって、20代後半では、インドに旅をしました。

インドの音楽というのは世界でも特徴的でした。

シタールやサーランギといったものです。

20代ではかなり音楽の幅が広くなりました。

トライバルミュージックやパーカッションミュージックなども聴いていました。

ロックミュージック以外はすべて聞いていたことになります。

今ではジャズのミュージックがかなりお気に入りです。

中でも Smooth Jazz はよく聞きます。

やはり20代ではインターネットの影響が強かったように思います。

20代前半の頃から YouTube というものが出てきて、好きな音楽を簡単にリサーチできました。

当時の YouTube は、 Google の傘下ではなく、完全な著作権無視の無法地帯でした。

その環境のせいか YOUTUBE は大爆発してしまいました。

そこに Google が目をつけたというわけです。

そして結果的に買収されました。

そこからが現代の Google による YouTube の始まりです。

今思えば初期の YouTube が懐かしく思えます。

しかしながら、こんなにも YouTube が世間を席巻すると思いませんでした。

もちろん今でも YOUTUBE には大変お世話なっています。

YouTube なしでは生きていけないくらいです。

完全に Google にはまってしまいましたね。

プロフィール

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【国境なき自由人倶楽部・代表】
戸茂 潤(とも じゅん)

戸茂は不常識人!?

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