丸腰の非正規労働者が独立し国際交流を楽しむ。一匹狼で人生を欲望的に生きる一風変わった豊かな生活。

なぜ社会人を辞めたいと思ってしまうのか

まず「社会人を辞めたい」と思う以前に、
大学生の時、「社会人にないたくない」という思いがあった。

国立大学の工学部に通っていたため、
暇な時間が多い文系学部のようなハッピーな大学生活ではなかったが、
社会人に比べれば自由に生きていた。

そんな甘い蜜を吸うような生活を5年間も送っていたため、
”立派な社会人”になることに抵抗を感じていたのだ。

当時の社会人のイメージと言えば、
自分を殺し社会に媚びへつらう囚人のようなもの。

何が楽しくて生きているのか疑問を抱くとともに、
しかしそれが人生の共通義務なのだろうと思っていた。

「社会人になること=死」と思っていた。

 

そんな心構えを持って大企業に就職したのだが、
それは間違ってなかったことが分かり、
すぐに社会人を辞めたい衝動に駆られた。

会社内の退屈な上司や先輩たちを見て、
それが自分の将来の姿なのかと思うと、
社会人として生きて行くモチベーションが下がった。

「やはり社会人というのはつまらないものだ」と。

そんな感じであったため、身体をすぐに壊し、
早々に”立派な社会人”の舞台から身を引くことになった。

 

大学生以来の自由な身となった私は、
再び水を得た魚のように”生”を取り戻し、活き活きとなった。

我ながら単純である。(苦笑)

しかもこの時の自由な感覚は、
大学生の時の自由の感覚と全く異なっていた。

大学生の時の自由は、
”大学生”という枠の中での制限された自由であったが、
社会人となってからは枠が一切ないことに気づいたのだ。

社会のレールから外れることで、
社会人に対する自分のイメージが間違っていたことに気づいた。

いわゆる視野が狭かった。

自由の味を占めた私は、思うがままに様々な仕事をすることで、
徹底的に社会観察を行った。

その過程では、大学生の時にイメージできなかった
様々な社会人との出会いがあり、興奮に満ち溢れた。

何も”社畜”だけが、社会人の辿るべき人生ではなかったのだ。

もはや「社会人を辞めたい」という思いなど微塵もなくなっていた。

無知とは愚かなことだ。

 

 

その後20代は、いろいろと自由に社会で活動してきたが、
大学時代の奨学金返済が滞っていたため、
30歳で予期せぬサラリーマン生活を始めることになった。

つまり再び「立派な社会人」の世界に戻ってきたということ。

やはりこの世界には、社会人としての自由は無かった。
それは”給料の貰える学校”という感覚。

働いている人間たちも、魂を押し殺して、
ただ毎月の決まった給料の確保だけのために生きていた。

私からすれば、それは”生きている”のではなく、
ただ呼吸をしているだけに過ぎなかった。

私も当然かなりのストレスを覚えた。

それはアフリカの大地で生きてきた生き物が、
動物園で暮らし始めるようなものであったので無理もない。

 

サラリーマンとしての日々を送るにしたがって、
生きる希望と情熱が失せていった。

興味のある仕事でもなく、理不尽に頭を下げる毎日。
だが全ては月に一回の給料(エサ)のため。

するといつしか、あの「社会人を辞めたい」病が再発してきたのだ。

 

このような経験則から、どうも社会人を辞めたいと思うのは、
仕事が大いに関係していることに気づいた。

要は限りある時間(人生)を、
自分にとって有効的、生産的に使えているかということ。

それが出来ていれば、「社会人を辞めたい」などと思わない。

 

現に私は約5年間のサラリーマン生活の後、独立し、
1人自由なスタイルで仕事を行っているが、
全く「社会人を辞めたい」とは思わない。

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戸茂 潤(とも じゅん)

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