旅行して感じた”トルコ人は親日”が、まぁ嘘ではない理由
トルコと言えば、一体あなたは何を想像するだろうか。
僕の場合は、、なぜか「エガちゃん全裸事件@トルコ」。
エガちゃんと言えば全裸、全裸と言えばエガちゃん。
でもさすがに、イスラム国家であるトルコの人々には、
受け入られなかったようだ。(笑)
トルコといって他に想像することは、ケバブとモスク、
それと男は胸毛が濃くハゲており、
右と左の眉毛が一本で繋がっていたりといったところ。
おおよそ、こんな感じのことが想像されることだろう。
(えっ、僕だけ?)
そして結構マニアックなことだが、
「トルコ人は親日家!」
という噂が巷で話題になることがある。
要するに「トルコ人は日本が大好き」という噂。
今回は、実際にトルコを一人旅して、
トルコ人が親日家なのは、
本当なのか嘘なのかを確かめることにした。
そもそもなぜトルコ人は親日家と騒がれるのか
「火のないところに、煙は立たない」
という諺があるように、
噂が起こるには、何か必ず原因がある。
トルコ人が親日家と騒がれている大きな原因として、
日本とトルコとの間で起こった、ある歴史的事実がある。
それは明治23年に、和歌山県沖で起こった、
エルトゥールル号事件である。
ザックリと説明しよう。
オスマン・パシャ司令官率いるトルコ海軍の
大型木造船であるエルトゥールル号は、
当時、様々な理由があって、日本を訪れていた。
(※当時はトルコ=オスマン帝国、日本=大日本帝国)
そして日本での所用を済ませ、横浜から出港したあと、
和歌山県沖で座礁に乗り上げたことが原因で、
水蒸気爆発を起こし、沈没してしまった。
その結果、600名以上が海に投げ出され、
死亡者および行方不明者数587名、
生存者数は僅か69名の大惨事となった。
いや「69名も生存できた」といってもいいかもしれない。
なぜならその時、トルコ船が沈没したことを知った
和歌山県の沿岸部に住んでいた村の人々が、
必死に遭難者を救護したからである。
村人たちは、自分たちの持っているもの全てを使い、
言葉が通じないながらも、トルコ人遭難者を救護した。
僅かの蓄えである自分たちの食料や、
非常用のニワトリを遭難者に与えたという。
さらに翌日、その事態を知った明治天皇は、
政府に対し「可能な限りの援助を行うように!」
との命令を下した。
その結果、生存者は手厚い保護を受けることができ、
さらにはその惨事に対し、
多額の義損金や弔慰金が送られたという。
村人たちの献身的な介護と政府の援助があったおかげで、
死亡者数を増やさずに済んだというわけである。
このことはすぐさま、当時のトルコの人々たちの耳に入り、
たちまちトルコ人は親日家となったというわけである。
しかし現在のところ、
このエルトゥールル号遭難事件のことを知るトルコ人は、
人口の30%ほどだという。
日本の公的援助のおかげでトルコ人は親日的?
実際のところ、
日本が関わっているものに対するトルコ人の認知度は、
ボスポラス大橋(45%)とマルマライ計画(52%)の方が高い。
これらはボスポラス海峡の、
アジアとヨーロッパを繋いでいる橋と海底トンネルだが、
日本の経済援助と技術援助があって開通した。
現代のトルコ人にとっては、
これらの方がインパクトが強いのは自然なことだろう。
しかしながら僕自身、トルコ人の口から、
このことに関する話題は聞いたことがない。(苦笑)
もしくは、感謝の声を述べたいが、
彼らは恥ずかしがり屋の、むっつり親日家なのか?(笑)
実際にトルコを歩いてみて親日度チェック
今回はトルコの代表都市、イスタンブールの街を歩いてみた。
世界的な観光地区である”スルタンアフメト地区”
を歩いていると、
日本語で話しかけてくるトルコ人が結構いる。
しかしこのことは、世界の観光名所において、
別にそこまで珍しいことではない。
世界の観光名所では、何か物を買わせるために
日本語でしつこく話してくる輩が多い。
しかしトルコでは、何かが違った。
ただ「こんにちは」とだけ言って通りすぎたり、
何か施設の前で入ろうかどうか悩んでいると、
「ここは夕方5時までだよ」
と、ただ教えてくれたりするケースが多いと感じた。
僕は基本的に海外で現地人から日本語で話しかけられると、
反射的に「追っ払う」モードに入ってしまう。
だがここトルコでは、
その防御的神経が無駄に終わることが多かった。
親切なトルコ人に遭遇
夜のイスタンブール旧市街を歩いていると、
サッカーのユニホームを売る小さな出店があったので、
ちょっとだけ物色してみた。
すると通りすがりの、
一人のトルコ人に日本語で話しかけられた。
トルコ人:
「ガラタサライのユニホーム買わないの?」
僕:
「う~ん、そうだね。やっぱりいらない。」
このトルコ人、なんだかソフトな性質だったので、
その後、このトルコ人と少し会話を続けることとなった。
僕はその時、彼女へのお土産として、
トルコで有名な「アーモンドクリーム」を探していた。
そのことを彼に告げると、
なぜか彼は薬局やいろんな場所に案内してくれた。
しかし夜も更けていたので、
ほとんどの薬局は閉まっていたため、
結果として、手に入れることができなかった。
「なんと献身的な」
と思った僕は、
「なぜそんな、あなたにとって無益なことをするのか?」
と彼に尋ねた。
「ビジネスでたまに日本へ行くけど、
その時よく日本人に親切にしてもらうからね。」
と彼は答えた。
(↓なぜか彼は流暢な日本語で、私に手品を披露)
結局その後は、他の土産を買う必要があったため、
彼の知り合いが経営する土産物屋へ連れて行ってもらった。
身長が2m近くあるその店主のトルコ人も、
私が日本人であることを知って、歓迎ムードであった。
そしてトルコ土産で有名なお皿を手にし、
しつこくディスカウントを頼んだところ、
「う~ん、OK。でも日本人にこのお店の紹介頼むよ」
という返事とともに交渉が成立した。
実際にトルコを訪れてみての僕の感想としては、
「トルコ人が親日家というのは、まんざら嘘ではない」
といった感じ。
ただトルコ人の性質は、割とマイルドなため、
日本人と相性が良いのではないかと、
個人的に思うのであった。
トルコ人男性にとって日本人男性は随分おしとやかかで可愛らしく見えると聞いたことがあります。写真を見て思わず「可愛い方に分類される人だな…」と思ってしまいました。
いや、違ったらいいんです忘れてください