丸腰の非正規労働者が独立し国際交流を楽しむ。一匹狼で人生を欲望的に生きる一風変わった豊かな生活。

社会のレールを外れた後の、20代前半の目まぐるしい社会人生活

 

結局、大学を卒業した後、夢も希望も持たず、
周りに流される形で名の知れた大企業に就職した。

入社時点で将来の幹部を約束され、
周囲の期待も大きかった。

技術職として入社したが、韓部候補なので、
まずは数年掛けて全ての部署を回される。

最初に配属された部署は、
24時間体制の部署であり、超不規則勤務。

自由な学生生活を過ごしてきた身体には、
十分に堪えた。

こうなってくるとモチベーションだけが頼りになるが、
仕事内容に全く興味ないうえに、
将来になんの希望も見出せない状況だったため、
エネルギーが湧かなかった。

そもそも、皆が同じことをしなくてはならないという
組織的な環境が合わない。

精神的葛藤もあってか、
2か月の間に40度近い熱を3回出してしまい、
結果、3か月目を迎える前に辞表を提出した。

”社会が理想とするレール”を外れたことで、
ここからようやく自分自身のレールを構築するための
人生の旅が始まった。

 

 

とにかく行動、行動、行動・・・

「将来的に自分でビジネスをやる」
という漠然とした目標はあった。

しかし何が自分に向いているのか、さっぱり分からない。

そこで、
「20代は、社会経験と世の中観察に時間を費やし、
その過程で自分を見つめてみよう。」
と考えた。

 

手始めに人間を知るという意味で、
ブライダルの世界に身を置いた。

ブライダルセレモニーには、
老若男女、全ての人間が訪れる。。

各国大使館の配膳サービスを受け持つ一流の会社に所属し、
フレンチ形式のサービスマナーを学びつつ、
ギャルソン(サービススタッフ)として、
3年ほどじっくりと人間を学ばせてもらった。

 

ブライダルサービスの仕事は、土日祝が主だったので、
平日には別の仕事にも取り組んでいた。

1つはタレントとしての活動である。

この世界では、”自分を出していく”のが必須なため、
シャイな僕としては、少々気が重い世界であった。

しかし仕事の方は、
タレント事務所に何百人の所属者がいる中で、
3本の指に入るほど順調だった。

そしてその後、大きな仕事のオファーが舞い込み、
タレントを専業として生きていく決断を迫られた。

遊び感覚で取り組んでいた仕事なので、
専業タレントとして生きていく自信がなかった。

結局オファーを断る形で、タレントの仕事を終焉させた。

 

また、
「日本で初めてハッチバック式の
持ち帰りコーヒー屋を始めた」
と言われる人物が経営するカフェで、
コーヒー修行に励んだことも。

順調にコーヒーの淹れ方を学んだので、
次に焙煎方法を教えてもらい、
新しいお店を任せるという話であった。

しかしある日、オーナーと考え方の違いから衝突し、
あっけなく終焉。

その時、完全に僕は感情的になり、
考えの成熟したオーナーにやり込められた。

 

 

自らすすんで、苦行の世界に身を投じてみた

自分の精神の未熟さに気づいた僕は、
メンタルトレーニングの意味で、
飛び込み営業の世界に足を踏み入れた。

そこで、某外資系生命保険の代理店に勤務。

会社自体、お得意様は持っていたが、
新人は挨拶周り兼、飛び込み営業を強要された。

今でも一軒目の飛び込み先を覚えている。

目標をお客さんの入っていない美容室に定めたのだが、
断られる恐怖のため、5、6回ほど、
美容室の前を行ったり来たりしていた。

お店に入った後のことを想像すると、
心臓がバクバクと鼓動し、
脚がガクガクと震えてしまうのだった。

 

だが意を決して、何も考えず中に入ることに。

ガラスでできた軽い扉が、ものすごく重く感じた。

個人美容室のオーナーである美容師は
「いらっしゃいませ〜」
と僕を出迎えてくれた。

そこで僕が
「お客でなく保険屋です・・」
と伝えたところ、一気に彼女の表情が変わった。

僕は頭が真っ白になり、地に足がついていない状態で、
「保険でお困りでしたらショップにお越しください」
と挨拶だけ済ませて、
早々と美容室から飛び出してしまった。

その後は、契約が取れたり、
塩を巻かれる感じでぞんざいに扱われたり、
公園が唯一の癒しどころになるなど、
飛び込み営業の世界観を味わっていた。

だが実際のところ、
仕事に行くのが嫌になるほど、
僕としては、それはそれは辛かった。。。

まぁそれを望んだのは僕なのだが。(苦笑)

 

 

飲食ビジネス経営を志し、片足を入れてみたところ

また20代前半では、他にもコールセンターや、
酪農の世界など色々と経験した。

掛け持ちや副業として働き、
またその中でも友人と遊んだりしていたため、
体力の限界から何度か倒れていた。

一度なんか、酪農家での仕事中に、
牛のご飯用のワラの中に頭を突っ込んで倒れていた。

 

まぁそんなこんな経験をしているうちに、
カフェなどの飲食ビジネスが
自分に向いているのではないかと悟った。

この時25歳。

僕は考えた。

「ビジネスは人がやってないことをやらなくてはいけない。
尚且つ、自分が好きなモノでないと長続きしない。」

この理論に当てはまるものが、一つあった。

沖縄名物の”タコライス”である。

大学時代に訪れた沖縄で食べた
あの味が忘れられなかった。

当時、沖縄以外でタコライスはほぼ認知されておらず、
またメニューにあったとしても、
本場沖縄のスタイルとは、ほど遠い味であった。

「ハッチバック式の持ち帰り専門なら、
開店資金も掛からないだろう」
と思い、着々と動き出した。

 

気が付くとすでに沖縄に上陸していた。

レンタカーを飛ばし、レンタカーの中で宿泊し、
2日間の日程でタコライス有名店舗をすべて制覇。

途中、食べ過ぎて気持ち悪くなったものの、
味やスタイルは掴めた。

 

その後、本土の自宅に戻り、
市販のシーズニングなどを用いて作ったところ、
完璧に再現できた。

友人たちの間でも、すこぶる評判の良い一品であった。

しかし、材料の経費が掛かり過ぎて利益幅が狭すぎる。

果て、どうしたものか。

 

それはさて置き、石橋を叩いて渡る性格の僕は、
一度、持ち帰り専門の飲食業に足を踏み入れてみた。

なんでも実際に経験してみないと、
その世界の水面下にあるものは見えないだけに。

 

そこで、フランチャイズのオーナーではあるが、
軽トラを改造した”焼き鳥屋”をオープン。

だが、路上での飲食業経営の現実をどっぷりと知って、
タコライス屋は諦めることになった。

 

結局それ以降、飲食ビジネスはキッパリ諦めた。

 

※続きは執筆中

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戸茂 潤(とも じゅん)

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