丸腰の非正規労働者が独立し国際交流を楽しむ。一匹狼で人生を欲望的に生きる一風変わった豊かな生活。

挫折と絶望、そして新たな世界観との出会い

 

高校3年になり、
この先の進路を考える時期が来ていた。

そんな僕は、映画「トップガン」に憧れて、
迷いなく”航空自衛隊パイロット”が第1志望、
そしてそれが滑った場合は大学進学という感じであった。

大学に行ってまでやりたいことはないし、
また家が裕福ではなかったため、
「早く働きたい」という願望もあった。

 

「航空学生」という
自衛隊パイロット養成過程に入学するための学力は、
国立大学合格レベルというので、
まぁ非現実的な話ではなさそうであった。

しかしパイロットは視力が重要になるので、
片眼0.8以上の視力が求められた。

僕の当時の視力0.5、、、不合格レベルであった。

しかしパイロット以外にやりたい仕事などなかった。

「俺は諦めない!不可能を可能にする男だ!!」

「不可能に思えたアイスホッケーの国体出場」
を果たしていた僕は、
「諦めなければ、夢はかなう」
と、奇跡を信じて前向きに考えた。

 

そう思い、有り金をはたいて、
視力回復の通信講座を受講し始めた。

朝晩に瞼への温冷湿布、目の体操、目のマッサージ。

家にいるときは、
ロボコップのような視力回復マスクを常に装着。

屋外では、遠い所と近い所を交互に見るトレーニング。

たまにサボりながらも、パイロットになることを夢見て、
試験前日までそんなことを続けた。

 

 

盲目に片思いし続けたの恋のゆくえ

時は過ぎ9月、
航空学生(パイロット養成コース)の試験が始まった。

1次試験は学力試験、2次は身体検査、3次は航空適性検査。

まず、1次試験は無事に合格した。

 

次は僕にとって鬼門の2次試験である
「身体検査」が待ち受けていた。

実のところ、
半年の間の視力回復トレーニングの努力空しく、
この時点で視力は回復していなかった。

しかし何かの奇跡を信じて、2次試験を受けた。

これ以外に道はないと思っていたため、
受けるしかなかった。

 

視力検査は、通常の視力検査の他に深視力や視野角など
複数の視力検査があるが、それらは全てクリア。

残すは運命を分ける一般的な視力検査のみだった。

 

そして実際に受けたところ、
やはり0.6辺りから判別ができない状態であった。

しかし、ヤマ勘で答えた。

「右、左、上、左、下、、、、、」

正答率が悪いからか、検査が長かった。

 

検査が終わり検査官の顔を見ると、
彼は首を横に振っていた。

そう、奇跡は起こらなかった。。。

 

試験を終え、基地を後にした。

夢途絶えて、空虚なった僕に照り付ける夕日が、
身体の芯まで沁みた。

毎日、パイロットとしての自分の人生を
鮮明にイメージしていただけに、
この日、完全に道を失てしまった。

それまで経験したことのない、大きな挫折であった。

まさに、片思いし続けていた異性に告白した結果、
バッサリと振られたようなものだった。

 

 

新たな世界観との出会いと良き社会人

結果的に、学費免除と日本育英会の奨学金を活用し、
目的なく流れで、国立大学工学部に入学することとなった。

しかし、生来の一匹狼的な性質なせいか、
日本の大学のような、ぬるま湯的な
アカデミックな環境が肌に合わなかったため、
3日で辞めようとした。

しかし友人の説得もあり、退学は思いとどまった。

 

目標の持たない僕は、
決して学業に専念することはなかったが、
抑圧された高校時代もあってか、
大学時代は「自由を楽しむこと」に時間を費やした。

レコード収集といった音楽に傾倒したり、
サーフィンにハマったり、また時には、
日本国内の未知の土地へ冒険していた。

 

 

そんな大学生活を過ごしていた21才のある日、
交通事故に合ったため通院生活を送ることになった。

その後、通院する必要がなくなったとき、
保険会社から想わぬ纏まった保険料が、
僕の空っぽだった銀行口座に入金された。

貧乏学生だった僕は、思わずニヤケてしまった。

どうせなら「物を買ったり、美味しいものを食べたり」
といった一過性のことではなく、
もっと普段できない有意義なことに、
その纏まったお金を費やそうと思った。

 

そこで当時、海外へ一度も行ったことのなかった僕は、
新たな世界観を求め、ニューヨーク一人旅を決行した。

英語が全くできなったにも関わらず。

記事:人生初の海外旅行ニューヨークひとり旅10日間

今までに経験したことないのはもちろんのこと、
想像すらできなかった世界観が刺激的であったため、
結果的に「生きるモチベーション」が高まった。

ここまで魂が躍動する感覚は、
かつて味わったことがなかった。

 

しかし、夢の世界を生きていたような初海外旅行から
帰国してからというもの、
退屈な人生を送る社会人になるための
カウントダウンが始まっている現実に直面し、
再びモチベーションが下がっていた。

「良い会社に入り、マイホームを持ち、、、」
のような俗世間で語られる抽象的な夢に対し、
僕の感情が高ぶることは無かった。

企業に入ってしまえば、
一人旅のような自由な冒険もできない。

僕にとって”良き社会人”とは、”魂の死”を意味していた。

 

続き→ 20前半の目まぐるしい非凡な社会人生活

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戸茂 潤(とも じゅん)

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