丸腰の非正規労働者が独立し国際交流を楽しむ。一匹狼で人生を欲望的に生きる一風変わった豊かな生活。

イマイチ「平凡なのか非凡なのか」わからない学生時代

 

小学校時代から”学業”は好きな方ではなかった。

小学校入学してすぐのこと、学業嫌いな僕は
授業を放棄して一人外で遊んでいたらしい。

そして「勉強は嫌、幼稚園に戻りたい」と言い、
親を困らせていたとか。(笑)

 

その後、人並みに学校の授業を受けるようになったものの、
成績は人並みといったところ。

しかしなぜか反射神経は群を抜いており、
常に体育の成績は5段階評価の5であった。

背丈は小さかったが、足の速さは常に学年一。

なのに、なぜか剣道部に所属。

さすがに途中でサッカー部に引き抜かれたが。

 

そして中学時代、
突然父親が網膜色素変性症という目の病気を患い、
仕事が出来ない状態に。

母親の安月給だけで、
家族4人が生活して行かなければならなくなった。

当時所属していたサッカー部では、
皆ファッションショーの如く
色んなプロチームのユニフォームを着て練習していた中、
無駄なものを買う財力の無かった僕は、
一人だけTシャツで戦い続けた。

家が貧しいと非行に走るというストーリーはよくあるが、
僕の場合はそれに当てはまらなかった。

極度のシャイかつチキンであったため、
「不良行為を通して自己主張をする」
という勇気がなかったためだ。

また中学生時代には、
「他人や親に迷惑は掛けたくない」
という考えを強く持っていたことも、
利用の一つとしてあった。

 

 

ちょっと背伸びし格好つけた高校生活

高校は日本育英会という奨学金制度を活用し、
かつ、授業料免除の私立学校に通うこととなった。

経済的には助かったが、
特別進学クラスに入ることが義務付けされた。

進学クラスは、
放課後の部活動時間にも授業を強いられた。

レベルの低い私立学校だったので、
進学クラスは完全に浮いていた。

そのため他のクラスからは、ガリ勉オタク扱い。

劣等感からか、
ちょっと目立っているとすぐに喧嘩を吹っかけてくる。

繊細な年頃だったので、この環境にはストレスが溜まった。

強くならなければならないと思い、
暴走族の世界に体験入学することになった。

思春期の思考回路は恐ろしい。

 

友人のバイクの後ろに跨り、
爆音上げて自分たちの存在を主張する。

警察に追っかけられたり、チンピラと一戦交えたり。

そして休みの日は昼間っからパチンコ。

しかし同時に、
「何か自分の求めている”強さ”とは違う。
これでは逃げているだけだ」
と悟り、この世界の旅は呆気なく体験程度で終焉。

そもそも小心者かつ平和主義者の僕には、
喧嘩が向いていなかった。

警察に捕まらなかったのだけは、救いだった。

 

 

警察さえも味方につけたクレイジーなチャレンジ

身体を動かすことが得意な僕は、
新しいスポーツを始めることにした。

そこでアメリカドラマの「冒険野郎マクガイバー」
に憧れていたという単純な理由から、
南国の地でアイスホッケーのクラブに入ることにした。

余談だが、この時僕はマクガイバーに心底影響されていて、
世界中で単身冒険する
このマクガイバーになることを本気で夢見ていた。

 

友人とともに何度かスケート場に足を運んだ後、
防具類は貸してくれるということなので、
即刻クラブに入るサインを交わした。

てっきり友人も一緒に入ると思っていたが、
「無理無理!!」と彼は怖気ついてしまい辞退したため、
結果的に孤独な闘いとなった。

 

アイスホッケーは他のスポーツと違い、
まずスケートが滑れないと話しにならない。

クラブのメンバーたちは、
幼稚園時代からスケートを始めた者たちばかり。

まるで僕たちが地面を歩くような感覚で、
無意識に氷上を行き来する。

それまでスケート自体
3回ほどしか経験したことがない僕にとって、
正直アイスホッケーどころではなく、
まずスケーティング(歩くこと)から
覚えなくてはならなかった。

 

氷上でメンバーが練習中、
僕は邪魔にならないように隅っこで
子どもが歩くことを覚えるがごとく
ヨチヨチとスケートの練習。

これまで「運動神経抜群」と
周囲から持てはやされてきた僕にとって、
スポーツにおいてここまでの屈辱はなかった。

しかしここにこそ「精神的に強くなれる種」
が有るように思えたため、
苦難の道が見えていたがプライドを捨て、
逃げずにやり続けることにした。

やり続けるためにはゴール設定が必要だった。

そこで大胆にも、
「この高校時代に国体出場」という目標を掲げた。

ほぼ不可能と思える無謀な挑戦は始まった。

 

 

学校とクラブ練習以外の時間を全て、
スケーティングの練習に費やす日々。

異性関係にも目もくれず、何かに取りつかれたように。

当時の彼女からは、クレームを貰っていたが無視。(笑)

スケートリンクが営業中の時はスケート場で練習。

夜は自宅近くの公園や駐車場で、
スティックを振り回しながら、ローラーブレードで練習。

警察にも何度か補導されたが、事情を話すとやがて
「闇の孤高のローラーブレーダー」
として警察署の中でも有名になり、
応援さえしてくれるようになった。

まさに「血の滲むような努力」とはこのことだった。

事実その後の人生において、
この時以上の努力を僕はしたことがない。

 

 

諦めない気持ちの末に勝ち得た感動の涙

アイスホッケーを初めて14ヶ月ほど経ち、
国体本戦出場をかけたブロック予選が始まった。

北国に比べてアイスホッケーの競技人口が少ない
「九州・中国・四国ブロック」からは、
高校生が所属する少年の部は、
わずか3県しか本大会に行くことができない。

僕は努力が実り、
皆にはまだまだ足元にも及ばないものの、
補欠メンバーとしての帯同を許された。

 

九州予選では1試合に出場。

誰にも期待されない中、なんと1得点1アシストをマーク。

ベンチでは皆が驚き、祝福ムード。

中でも、僕を忍耐強く育ててくれた監督は
自分のことのように喜び、涙目さえ浮かべていた。

これまで孤独と闘ってきたが、
これが初めてチームに認められた瞬間であった。

 

試合を見ていた関係者は、
僕がアイスホッケーを初めてまだ1年ちょっと
という事実を知って驚いていたらしい。

 

その後チームは九州2位になり、
中国・四国ブロック2位とプレーオフを行った結果勝利し、
国体本選出場の切符を勝ち取った。

 

結局、北海道で行われた本選では、
強豪相手に1回戦で敗退したものの、
見事、個人の目標であった国体出場を果たした。

 

この青春時代の無謀なチャレンジを通して、
夢は「叶う」ものではなくて、
「叶える」ものであると理解した。

「諦めない」

これはかなり重要なマインドセットである。

 

続き→ 挫折と絶望、そして新たな世界観との出会い

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戸茂 潤(とも じゅん)

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