丸腰の非正規労働者が独立し国際交流を楽しむ。一匹狼で人生を欲望的に生きる一風変わった豊かな生活。

聖域「マザーテレサの家」での施設ボランティア体験

「マザーテレサ」
彼女ほど自分の人生を他人へ捧げた”無償の愛”の持ち主を
私は知らない。

seiiki

テレサは18才の時インドへ赴き、修道女として教育に力を注いだ。

そして1950年に自らの修道院を設立。
それと同時に、12才の時から抱いていた夢であった
身寄りの無い貧しい人たちのための施設を開設。

それがあの「死を待つ人々の家」という有名なホスピスである。
以降も障害者の家や養護施設などを開設。

それらは総称して「マザーテレサの家」「マザーハウス」と呼ばれる。

 

私がインドに来た目的の一つが、
この”マザーテレサの家”でのボランティア活動参加だ。

 

 

時刻は朝5:00。
私が向かった先は、サダルの宿から歩いて20分ほどの場所にある、
生前マザーテレサが活動していた修道院。

修道院では、毎早朝にミサが行われており、
それは一般人も参加できると聞いていたためだ。

 

インドに来てから、こんなに早い時間に外を出歩くのは初めて。
辺りはまだ薄暗いながらも、すでに人々が活動し始めている。

屋外で、頭や身体を勢いよく洗っている者の姿を結構目にした。
モヤが立ち込め、なかなか幻想的な雰囲気である。

 

そんな中、修道院に辿り着いた。
想ったよりも小さい修道院である。
中に入ると、欧米人をメインとした一般人も多数来ていた。

間もなくして修道女たちが礼拝室に集まり、ミサが始まった。
我々一般人も後方に加わる。

 

修道女たちの持つ純粋な波動のためか、
礼拝室はかなり高潔な空気に包まれていた。

私自身クリスチャンではないため、祈りの仕方に戸惑ったが、
周囲を真似して、それらしく祈ることにした。

 

賛美歌の時、高潔な空気感は最高潮に達し、身震いさえした。
まるで”愛で満たされた天国”にいるような気分であった。

一般的な修道院も、ここまでの空気に包まれるのだろうか。
私には、この修道院だけが持つテレサの愛が創り上げた
独特の空気感ではないかと感じた。

 

この日はミサだけに参加し、ボランティアには翌日参加することにした。

 

 

そしてボランティア参加当日の朝、
同じ宿のTくんと、集合場所である修道院に向かった。

ボランティアできる施設はコルカタ市内に複数あるが、
私としてはやはり「死を待つ人々の家」に行ってみたかった。

それに関しては、Tくんも同じ意見であった。

 

修道院に到着したところ、
結構なボランティア参加希望者が集まっていた。

日本人や韓国人といったアジア人女性の姿も割と多い。

 

時間になったところで、リーダー格の欧米人女性が、
一人ひとり行く施設を割り振る。

私とTくんの順番が来て、彼女が私たちに問いかけた。

それが私には「ペンダント?」という言葉に聞こえたため、
私は「プリーズ」と答えた。

すると彼女は「OK」と返事した。

事前情報で、ボランティア参加者は”ペンダント”が貰えると
耳にしていたため、

「あなたたちはペンダントがいるか?」
と聞かれたと思っていた。

 

ところがどっこい、これは単なる聞き間違いであった。
彼女は「プレブダム?」と言っていたのである。

「Prem dam(プレムダム)」とは、ハンセン病患者の施設である。

要するに彼女は我々に「プレムダムでいいですか?」
と聞いていたのである。

Tくんには悪かったが、
私の勘違いで「死を待つ人々の家」には行けなくなった。

ちょっとした笑い話である。

 

 

ベテランボランティアの人たちに着いて行く形で、
バスとオートリキシャを乗り継ぎプレムダムへ向かった。

施設に向かう過程で接するインド人たちが、
気のせいなのか我々外国人に対し優しかった。

インドでこんなことはあまりない。

恐らく我々が「マザーテレサの家」でボランティアを行うことを
分かっていたからだろう。

そんな我々を欺くのは、神を欺くようなものであったかもしれない。

 

オートリキシャで施設近くに到着し、歩いてスラムの中を通る。
かなり極貧のスラムであった。

しかし、スラムの人々の我々を見る目に”愛”を感じた。

マザーテレサの残した”偉大なもの”を痛感した。

 

スラムを通過し終え、施設の入り口をくぐると、
患者たちが道を作るように両サイドに配置し、
我々を大歓声で迎え入れた。

凄まじい熱気である。
まるで凱旋帰国を果たした英雄のような気分だ。

これを毎日行っているのか!?

 

施設内は男と女の病棟に別れていたため、
ボランティアも男女それぞれに別れた。

エプロンとゴム手袋が配られ、ボランティア開始。

特に何をしたら良いかの支持は与えられない。
あくまで”自発的な意思”により行動しなくてはならない。

要は自分で仕事を見つけるということ。
ボランティア初参加だと、これが結構難しい。

 

基本的に手や足を持たない患者が多かったが、
ベッドの上でのた打ち回っている、死が近いような重篤な患者もいる。
そんな彼らが私を手招きして呼ぶが、何をどうしてよいか分からない。

また彼らはベッドに寝たまま用を足すので、
その処理もかなり不衛生な感じで大変であった。

ボランティア参加者の大半は女性なので、男病棟は完全に人手不足。
かなりの人数の患者に対し、僅か5人で回していた。

 

途中一度休憩があり、チャイとクッキーとバナナが振舞われが、
この時はもうクタクタ状態であった。

しかし女性たちは明るい。
慣れているためか、それとも愛の度量の違いのためか。

 

後半戦に入ると、初めは酷く感じた雰囲気にも慣れていた。
深く考えずにテキパキ仕事をこなす。

食事の時は、器を持ち並んでいる一人ひとりにカレーを入れて
行くのだが、「もっと入れろ!」とヤジる者もいた。

入れてあげたいのはヤマヤマだが、他の人が食べれなくなる。
それを説明するが、「入れろ!」しか言わない。

患者とは言えど、そんな我ままな輩にはキレてた自分がいた。
全く持って看護や介護の適性なし。(苦笑)

愛を持って忍耐強く接することの難しさを知った。

 

 

この日は午前中のみでボランティアは終了。

初めての国際ボランティアの体験であったが、
そこに華やかさはなく、地味で忍耐が求められる世界であった。

しかしそれこそが”愛”というものなのだろう。

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戸茂 潤(とも じゅん)

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