変なインドネシア人との食事そして観光@ジャカルタ
ジャカルタ到着当日の夜7時半、宿泊先のホテルを出発し、
バスウェイのペセノンガン停留所へ向かった。
夜8時に現地インドネシア人女性の”プトゥ”と停留所で落ち合い、
一緒に食事をすることになっていたためだ。
プトゥは私の友人ではなく、兄の友人である。
ジャカルタ大学日本語学科に通う現役大学生。
私が今回ジャカルタへ行くに際して、兄が紹介してくれた。
彼女とは全く面識がなく、2,3日前にLINEでやり取りした程度。
兄の話によれば、プトゥはかなり熱心な日本語学習者であり、
兄もしばし質問攻めにあっているらしい。
停留所に辿り着くと、真っ暗でひと気のない中、
1人女性らしき人物が、スマホをいじっている姿を確認できた。
プトゥかどうか分からなかったので、逆に気づいてもらう作戦のため、
一度ゆっくりと女性の前を通り過ぎた。
しかし女性はスマホに夢中であり、こちらを見てくれない。
仕方なしに、こちらから英語で女性に話を掛けてみた。
私「あの、すみません。プトゥさんですか?」
女性「あ、はい、そうです。」
無事に会うことができた。
場所を”ソト・マドゥーラ・ジュアンダ”というレストランに移し、
夜ご飯を食べながらの国際交流が始まった。
メニュー表を開き、プトゥにお勧め料理を訊いたが、
なんか彼女はシドロモドロになっており、まともな答えが返ってこない。
仕方なしに私が勝手に料理を決め、
彼女にインドネシア語でオーダーを通してもらうことにした。
店員が来て、プトゥとのやり取りが始まったのだが、
プトゥがキョドり過ぎていたため、店員と話しが噛み合っていない。
そこでプトゥに代わり、なぜか私が英語でオーダーを通した。
私とプトゥ、完全にホーム&アウェーが逆になってしまっていた。
彼女は日頃の日本語学習成果を発揮する絶好の機会と
気負い過ぎており、完全に頭がショートしていたのだ。(笑)
そしてディナー中は、日本語が完全に頭から吹っ飛んだらしく、
ほぼ英語でのコミュニケーションとなってしまった。
全く変わった娘である。
閉店時間まで宴は熱く続き、
翌日一緒にコタ地区を観光するということで、一旦解散した。
翌日、待ち合わせ場所へ行くためバスに飛び乗ると、
なんと偶然にも同じバスにプトゥが乗っていたので、お互い驚いた。
バスの往来が激しい中で、これは奇跡としか言いようがない。
プトゥは昨夜よりも平静さを保っていた。
それでも超変人から変人になったという感じではあるが。。
この日は、プトゥの友人”ティウイ”も同行するということだったので、
待ち合わせ場所に2人一緒に現れたことに、ティウイも驚いていた。
ティウイはジャカルタ大学英文科の学生であり、
バリ人であるプトゥの幼馴染。
2人ともバリヒンドゥー教徒のため、
インドネシア人に多いムスリム特有の被り物はしていない。
今回の国際交流はそもそも、
プトゥの日本語実践力の向上が目的だったのだが、
ティウイが全く日本語が話せないため、
3人での会話は必然的に英語となってしまった。
まぁ私にとっては、英語の実践経験が積めるので、
それはそれで良かったのだが。
我々はジャカルタ北部のベタな観光地である、
コタ地区のファタヒラ広場へ足を延ばした。
ファタヒラ広場にはオランダ植民地時代に造られた建造物が
数多く存在するため、異国情緒感がある。
またそれらの建造物は、今では博物館や美術館となっているため、
歴史好きには堪らないエリアだろう。
また広場では、大道芸人がパフォーマンスを行っていたりと、
インドネシア人にとってのテーマパークでもあるようだ。
印象的だったのが、若者たちの多さ。
高齢化が叫ばれる先進国にはない活気に満ち溢れていた。
後進国が持つエネルギーには、毎度驚かされてしまう。
その後は2人のガイドにより、ジャカルタ市内を現地人目線で散策した。
旅人にとって旅行先のミニバスやベモ(乗り合いタクシー)に乗るのは、
かなり勇気がいるハイレベルなこと。
しかし現地人と一緒に行動することによって、
これらの庶民の足に乗るのは簡単。
そして一度システムが分かれば、次回からは1人で乗れてしまう。
便利で安い乗り物を使わない手はない。
私に色々と知識を蓄えさせてくれた2人には感謝である。
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